本を読んだので、記録と感想を残します。
読んだ本
「100個チャレンジ」100個チャレンジ | デーブ・ブルーノ, ボレック光子 |本 | 通販 | Amazon
どうやら絶版のようで、新品はamazonだとすごく高いです。kindleはなさそうです。近所の古本屋さんを探してみてもいいかもしれません。
原題は「The 100 Thing Challenge: How I Got Rid of Almost Everything, Remade My Life, and Regained My Soul」で、副題まで含めるとこちらのほうが意味はわかりやすいですね。英語版はkindleがありそうなので、英語が苦でない方はそちらでもいいかもしれません(ぼくは英語が苦手なので、日本からでも英語版kindleが買えるのかどうかもよく知りませんが)。
概要
ざっくりこんな感じの内容でした。
客観的には素晴らしい生活をしているもののどうにも満たされない著者が、その原因を「消費主義」に求め、1年間を100個以内の持ち物で過ごす「100個チャレンジ」を実践。チャレンジを通じて学んだ教訓や、実践する上での注意点やコツを経験談として紹介する
いわゆるミニマリズムについての本として取り上げられることが多いですが、カチカチのミニマリズムというよりは、なんというか柔らかい印象でした。
本の構成は二部+おまけの構成で、それぞれ4割, 5割, 1割くらいの分量です。
- PART1: 100個チャレンジの準備(どのような考え方でものを減らしたか・どんなことが辛く、あるいは意外に簡単だったか)
- PART2: 100個チャレンジの実践(実践する中で難しかったことや、途中で感じた心境の変化など)
- おまけ: 実践に際しての具体的なアドバイスや、「1年のチャレンジの後」どうしていくか
全体は200ページ程度なので2, 3時間程度で読めました。最近は非常識なほど空白と文字の大きい自己啓発書がありますが、この本はそんなことなくて、ふつうくらいです。
読んだきっかけ
- 木工道具を手放すくだりがジョシュア・ベッカー氏の「より少ない生き方 ものを手放して豊かになる」で紹介されており、内容が気になったので読みました。
- そもそもミニマリズムに関心を持っている理由は、仕事や家庭の充実に反比例して、集中力の欠如や焦燥感をより強く感じるようになったためです。
- 経験上、自分のキャパ以上に多くの物事をやろうとしているときにこういった感覚に陥ることが多いです。
- そこで、取捨選択のヒントを求めてミニマリズムについての本を読んでいます。
感想
最初の印象
著者は自分のことを「アメリカの中流階級」と書いているのですが、日本に住む小市民のぼくからするとメチャクチャ豪華な暮らしをしています(サンディエゴのでかい家に住み、子供は三人、犬も猫も飼ってアウトドアを楽しむ・・・)。
なので、「こんな人でも幸せ以外の感情を持ったりするんだ」ってのが読み始めたときの印象でした。
特に刺さった話
なんといっても、5章の鉄道模型の話と、6章の木工道具の話です。
これらは共通して、「自分の気持ちよく観察し、理解した上で諦めている」のですよね。
鉄道模型の話では「幼少期に叶わなかった気持ちを埋めること」を、そして木工道具の話では「現実離れした理想の自分のイメージ」を、それぞれモノを捨てることを通じて理解し、諦めています。
どちらも、頭で理解するのがすでにつらいし、頭でわかっても実践がつらい話です。
特に後者は変えられれない過去ではなく未来の可能性の話なので、著者が最後まで捨てられなかったと書いているのもよくわかりますし、最初に読んだときは「そこまでせんでも・・・」と思いました。完璧な理想とはいかなくても、趣味で木工を楽しむことはできると思いますし、その中で著者が思い描く理想のように、腕を磨いたり、作品を世に出したりすることはできたはずです。
著者はなぜ(アウトドア道具ではなく)木工道具を捨てたか
チャレンジで持っていた100個のリストには、趣味のアウトドア道具がかなり含まれています。
著者はその理由を幼い頃に冒険家になる夢を持っていたからだろうと書いていますが、であれば、同様に木工職人になる夢を叶える道具も残せば良いはずです。幼いころの夢ではなく今の夢である以上、むしろアウトドア道具ではなく木工道具を残すべきな気もします。100個チャレンジにおける「1個」の定義は(本を本棚でまるごと一つとカウントしているように)かなり柔軟なので、両方含めることも可能ではあったはずです。
なぜアウトドア道具を残し木工道具を捨てたのか。その理由は直接的には書いていないのですが、文を読んでいて察するのは著者にとって木工職人の夢がキャパ不足・情熱不足だったのだろうなということです。
- 叶えたい夢というよりは「こうなったらいいなとぼんやり妄想する理想」に近かった
- 具体化するにも、実践するにも、生活の中にもうキャパシティが残っていなかった
自分が「木工道具」を捨てられるかを考えてみる
必要性はわかっていても、いざ自分ごととして考えてみると難しいです。
1. 甘やかな妄想の輪郭を捉えるのがまず怖い(具体化すると課題や粗が見えるが、それらを直視したくない)
2. 10年後に「あのとき諦めなければよかった」となることが怖い
3. 諦めることで、逃避としての妄想が不可能になり逃げ場がなくなるのが怖い
でもやっぱり日常でできることには限りがあるわけで、事実上取捨選択は必要で、目をそむけていても無理が出るだけで・・・ 言い訳を重ねても仕方がないですね。
その他に印象深かった部分
ざっと書きます。5章6章だけでなく、4章、12章、13章も何度か読み返しました。
- (2章)なぜモノを買っても満たされないのか? 売っているものは「ほとんど」理想的だが「完全に」理想的ではないから
- どっかで満足しないとダメだよな~って感覚はあったけどこれはうまい言語化だなあと
- (3章)本棚は一つにカウント
- どうやら「ズルだろ」って何度も指摘されたらしく、このルールは本の中でも繰り返し触れられる
- でも、そのくらいゆるくやっていいんだってことだと思うし、それに、自分が選んだ本がたくさん詰まった本棚全体で一つにカウントするのは、なんというかすごく素敵だと思った
- (4章)こどもが泣きながらお人形を寄付しようとするのを見て反省、考えをあらためる
- 全然関係ないけど、こういう記述みると泣きたくなる。ぼくもヌイグルミが一番の親友だったから
- (4章)「私の居場所は、今いるところなのだ。そして、これはどんな人にも当てはまる(p56)」
- 世捨て人になるのではなく、自分にとって重要で身近な人間関係を大切にすることこそが、本当に「シンプル」だと書いているのだけど、難しい
- わざわざ書くというとことは、著者の中には「世捨て人的な暮らし」こそがシンプルで、自分にとって真に自由、理想なのではという考えがあったのだと思う
- その上で、ここで改めて、そうではないんだぞってことを書いている
- (7章)リストに服が多い
- そうなるんだ~~という意外さがあった
- (9章)持ち物のうち3ヶ月で使わなかったものは2個だけ。14個のものは毎日使っていた
- これ、なんかうらやましいなと思った
- (12章)理想の一日
- 著者が今思う理想の一日ってのは、こういうのを言うんだなあと思った
- 多分彼が思い描いた「完全に」理想の一日ではないのだろうけど、それでもこれでいいのだと
- (13章)ウェンデル・ベリーとダラス・ウィラード博士の言葉
- 要は「自分とその可能性には限界があることを知り、謙虚になれ」ということだと思う
- こういうことを読んだり考えたりする度に、本当に自分は幸せになりたいんだろうかと思う
あと、全体を通じて著者が恥ずかしい妄想を書いている部分が何箇所かあるのですが、それらによって共感と好感が掻き立てられて、うまいなあと思いました(著者も書いている通り、書くのは恥ずかしかったと思うのですが)。
覚えておこうと思ったこと
- 持ち物の整理を通じて、無意識の気持ちと向き合い、そして諦めることでリソースを節約できる
- 「100個」のリストは自分のさじ加減でよい。本棚で1つにカウントしてもいいし、なんなら100でなくても良い
- 恥ずかしいくらい素直に思っていることや考えていることを書いた文章は魅力的になる
おわりに
よし!100個チャレンジをやってみよう!とは別にならなかったのですが、「持ち物のリストをゆるく作成する」「やることの取捨選択を意識する」はやってみようかなと思いました。
取捨選択の基準に関しては別の本を読んだので、そちらもいずれ感想を書きます。