かれこれ10年くらいiPhoneを使い続けているのだけど、よく考えてみると一度も愛着を感じたことがない。対して好きではないが便利なのでiPhoneを選び続けている。
携帯電話は毎日使うものなので、できれば好きになりたい。
歴代のiPhoneはとっとと処分したが、昔使っていたガラケーやAndroidは(使い勝手は微妙でiPhoneより便利ではなかったが)好きだったし、機種変の後もどうしても捨てられず今でも戸棚に飾ってある。できればiPhoneもそのくらい好きになりたい。
一体ガラケーやAndroidと何が違うのだろうか? どうやったら好きになれそうだろうか。
なぜiPhoneに愛着が湧かないか
ちょっと考えてみると、愛着が湧かない原因はたぶんこの二つだ。
1. 端末が似たりよったり
2. バックアップ機能の完璧さ
第一に、端末が似たりよったりだ。
機種を変えると丸くなったり四角くなったり、あるいは大きくなったり小さくなったりするが、どれもまあ大差ない。
機種変前後で大差ないというだけでなく、街でも似たり寄ったりの端末を使っている人が大量にいて、どうにも「自分の端末」という感覚が湧かない。
なんなら端末よりもケースに愛着が湧くくらいだ。
第二に、バックアップ機能の完璧さだ。
iPhoneというのは、端末を交換してもiCloudから前のバックアップをとってくることですぐに以前までと同じデータ・同じアプリが入っている状態にできる。
メチャクチャ便利だし道具としてはあるべき姿だなと思うのだけど、これがなんというか悲しい。もちろんバックアップを使わない選択肢もあるのだけど、使う使わないではなくできてしまうのが悲しい。すぐに代替が手に入ることがわかり「ああ、端末は単なるガワだったんだな」と思い知らされてしまうのだ。
この前読んだ「100個チャレンジ」という本に、アメリカの中流階級の男性が猫を「買い替える」話が出てきた。彼にとって猫は家族ではなく機能だったから買い替えが可能だったという話なのだけど、僕にとってiPhoneはまさにそれだ。
考えたこと
というわけで、iPhoneの形がすべてユニークなもので、かつ機能の完全なバックアップが提供されていなければ、僕はiPhoneに愛着が持てるのだと思う。でもそれは便利とは離れる方向性なわけで、あちらを立てればこちらが立たずだ。
要するに一定以上の利便性と愛着ってのは相反する部分があるんだろうと思う。
これからもiPhoneに愛着を持てそうにはないけど、これは案外大切な発見かもしれないなと思った(例えば、時間や気力を要する人間関係を恐れていては人生を豊かにすることは難しいのではないか?)