「記事数稼ぎのため」というひどい理由で一記事の内容が増えすぎないようにブログを更新していたのだけど、予想外にメリットが多そうという話を書く。
最近の話(具体例として)
たとえば最近Obsidianというメモアプリを使うようになって、使い始めてからしばらくは関連する内容ばかり書いていた。
- 1/24: Obsidianのvimモードでもjkで<Esc>する - nautilus notes
- 1/25: Obsidianのvimモードでgt/gTでタブ移動する - nautilus notes
- 1/26: Obsidianのvimモードで<Space>qでファイルを閉じる - nautilus notes
- 1/27: Obsidianで特定フォルダ以下のファイルを一覧表示する - nautilus notes
- 2/2: windowsのObsidianとiCloudの相性が悪い - nautilus notes
- 2/3: Obsidianのユニークノートクリエイター プレフィックスフォーマット決定版 - nautilus notes
- 2/5: ObsidianのテーマはMinimal(+Minimal Theme Settingsとかでちょっと修正)が一番好き - nautilus notes
- 2/6: Obsidianの編集ビューではmarginではなくpaddingを使うべきという話 - nautilus notes
今見たら8記事も書いていたらしい。
タイトルがほとんど同じなので察することができると思うけど、最初の三記事はすごく関連した内容を書いている。以前の僕だったら最初の三記事は一つの記事にまとめていたと思うのだけど(たとえば「Obsidianのキーマップ設定まとめ」みたいな感じだ)、今回は意識的に記事を分けた。
一記事の内容を少なくすることの利点
もちろん記事数は増えるし、それ以上に書くのが楽なのが嬉しい。
大作の記事を作っているときにありがちな気持ちはこうだ。
- なんでこんなの書いてるんだっけ? どういう意味があるんだっけ?とか考えてしまう
- 文章の整合性とか構成がきになる
- いつになっても書き終わらないのでうんざりする
小分けで書けば、新しい画面でバーッと書きたいことを書いてエイヤで投稿すればいいので楽だ。
「一仕事終えたな」という達成感もどんどん味わうことができる。
しかもそもそも書こうと思っている内容がすくないので、見出しの構成とか伝え方みたいなことをあんまり考えなくてもいいのもうれしい。
あと「さすがにもう少し書こうかな」みたいな感じでその内容を深掘りするので、記憶にも残りやすくて、なんだか丁寧な生活感がある。
ここまでは書き手の都合だったけど、多分読み手にとっても一記事の内容が少ない方がわかりやすい。
わからないことがある人はGoogleで検索してページを探すわけで、検索クエリに対するドンピシャの解答になるページを求めている。余計な情報が色々書いてあっても、疲れるだけだ。
もちろんもっとふわっとした内容を検索する人もいるだろうけど(たとえば「Obsidianのおすすめキーマップ設定まとめ」を検索する人もいるだろう)、細かい記事として最初に書いておけば、あとからそれらのリンク集としてもっとフワッとした記事は書くことができる。
どちらにせよ、記事は細かく分けて書いたほうが読み手にとっても親切な気がする。
というわけで
今のところ、内容を細かく分けてそれぞれ記事にするのが良さそうだなと思っている。
もちろん、単体のページで完結しない内容になると単に不愉快なだけなので限界はある。
このブログは人の役に立つかどうかを一切気にしないと決めているのだけど、さすがにどうでもいい内容の記事が10ページくらいに分割されているwebメディアみたいになるのは嫌だ。